昭和42年03月12日 特別奉修委員会



 昨日、あちらへ移転前にと言うて、お願いしておりました、琴の、全部、糸もコマも掛けてあります。あれは、覆いは、何と言いうでしょうか。あれも、全部、今度、取り換えられましてね。しかも、八つ波の御紋章が、それに一つひとつ入った見事なのが出来てきております。あれは、私は、大体は、朱色でお願いしたんですけども、実際は赤ですね。ほとんど赤に近い、赤のゆたん、何と言うのでしょう。
 はあやっぱりゆたんですか出来てきて、琴屋さんがあちらへ運んで来てくれとります。咋日着いたと申します様に参りまして、そしたら楽室においておってくれと言ったけど、楽室が散らかっとったからでしょう。会議室の方へ床の間の端のとこへ、立て掛けてございました。しかしいいですね。ああいう素晴らしいお部屋に琴が六面、しかも真っ赤なのが部屋の隅にあるというだけでも、部屋がが生き生きとして来ますね。
 いわゆる、その今の言葉で言うなら、部屋のひとつのアクセサリーですね。なんとも言えん感じです。今日、皆さん、おい出られるならご覧んなさりませ。あんなんを。椛目の私は、美登里会の方達やら、例えば、こういう奉修委員の方達の場合なんかは、椛目のああいう様なものだと、私は思うですね。そういう例えば、ほんなら、ひとつの、沢山のここに、ご信者がおりましょうが。
 ご信者の中に、いわゆるその、赤い心というかね、いわゆる、真です。その真が、こういう、一週間に一遍ずつの祈念という様なことにもなって来ておる訳でございます。ですから、それは、本当に有り難いことだと思うです。ですから、皆さんがこうやって、精進をしておられることが有り難いんですが。本当にあの、本当に信心を頂きたいと。まあそれを極言するなら。
 とにかくこの世は徳を受けなければ、人間の幸せはないと分からせて頂く所からです。本当にお徳を受けたいということから、例えばこのことがなされてくるならば、このことが特別の信心がです。所謂特別奉修員とこういう特別の信心が、特別に有り難いものになってこなければならないと思うですね。是だけの事じゃありません。皆様その為のほんなら自分の為ではなくてから、お広前を中心にした考え方とか。
 それに対するところの、修行とかというのは、これは、特別なものですから、特別の信心が、特別の修行が、私は、なされていく時にです。お徳を受けていこうとするもの。いや、お徳を受けたいお徳を受けたいと、何か如何にも、そんなにお徳て、展望易う頂けるものじゃないと。だからその、お徳を受けたいという事は、まぁ、おかしいような感じですけれどもです。
 やはり、煎じ詰めますと、真の信心を頂きたいという事は、お徳を受けたい。同時にです、お徳を受けなければ、人間の幸せというのは絶対ないということです。久留米の石橋先生が、この世は徳の船に乗って渡れとこう仰るように。徳の船に乗っておるという、我が身は、神徳の中に生かされてあるというような、信心が分からなければ、、この世に幸せはないです。ただ信心をしております。
 おかげを受けておりますというだけでは。ですからお徳を受ける為なら、どういう信心でもさして頂きたいとこう、このやむにやまれん修行精神も湧いてくるのでございますが。まして、こういう神様のご悲願が達成されて行く事のためにです。私共がこうして寄与さして貰うというか、それに奉賛させて貰うその修行なのですから。もう実を言うたら有難い。もうとても抜かしは出来ないという気が致しますですね。
 ですから確かに椛目全体のご信者さんの中の赤い琴が、あの会議室に置いてある。そのようにです、ひとつの色彩というか異彩をいわば放っておる訳ですけれども。ただそれだけではなしに銘々の内容がです。本当の信心を頂かして頂きたいための、この修行であったらこれは椛目全体のおかげではなくて、銘々が徳を受けるいわば手掛かりになってくるとこう思うですね。そこまで皆さん特別の信心、特別の修行を高められてお出でなければならないという風に思うですね。
   どうぞ。